接遇

 近年、医療業界でも接遇について色々と言われるようになって、患者さん本位のサービスを心掛けましょう、ということになっている(当たり前のことなのだが)。


 精神科というのは差別や偏見との絡みもあって、接遇面では遅れていると思われる科だと思う(特に古いタイプの病院では)。但し、看護の対象になるのが人の心そのものだったり人間関係そのものだったりする為、単に「接遇」の一言では片付けられない面もある。常に丁寧に優しくしていればいいか、というと、精神科ではそうではない。


 先日、Iさんという真面目な患者さんが私に缶ジュースを渡してきた。「あの〜、Tさんがくれたんですけれど……」。真面目なIさんは、「患者さん同士の者のやりとりは御遠慮下さい」という病棟の方針に従って、ジュースを私に渡してきたらしい。ちなみにこのTさんというのは統合失調症の患者さんなのだが、高齢でもあって、多少認知症が混じってきている感じもする男性の患者さん。ナースルームに戻ってそのことを報告すると、副師長(男性30代)が、「あ、それさっき俺がTさんに出してあげたヤツだ。何か食べモンくれくれってうるせーから」と。そして副師長、缶ジュースを片手にナースルームの窓口から側に居たTさんを呼ぶ。


「おじい! おじい! おい、人にやんなら、もうやんねーぞ!」


 一同が呆気にとられていると、Tさん、


「はい、はい、すみません。飲みますから、これ(缶ジュース)開けて下さい」


 無言で缶ジュースを開けてあげる副師長。ナースルームに戻ってくると、先輩ナースが、「凄い接遇ですね。役職が……(苦笑)」と話しかけた。副師長、「俺だから出来るの。みんなは真似しないように」と笑顔で応えた。


 この副師長、普段からソフトモヒカンに顎髭、ごつい体格で白衣を着ていても充分怖いのだが、私服になると殆どどこかのヤクザ。去年の病院の忘年会でも黒のスーツに黒のシャツ(勿論ノーネクタイ)、髑髏のネックレスで煙草片手に現れ、みんなで「ヤクザだ、ヤクザだ」と指さしたら怒られた。


 だが、この副師長は何も考えてない粗暴な人、というわけではなくて、きちんと理解力の有る患者さんにはきちんと礼儀正しい接遇をしている。患者さんに合わせて、色々な対応の仕方をしているのだ。勿論、接遇のマニュアルから言うと絶対行ってはいけない対応なのだけれど、多分、私がTさんに、「他の人に物をあげるのは禁止ですから、もうしないで下さいね」と言っても、多分理解して貰えないだろうし、多分Tさんは直ぐ忘れてしまうだろう。でも、コワモテの副師長がこういう言い方をすればTさんは、ああ、人にあげたら駄目なんだな、ということをきちんと理解して、(忘れてしまわなければ)もうあげたりはしないだろう。精神科の接遇は難しい。マニュアルなんて、絶対にこれが正しいという正解なんて、存在しないのだ。